何気なく背負ってしまっているものをおろして身軽に
なんでもできる子という呪縛
私、
小さい頃から器用だったので
なんでもできる子でした。
自慢したいのではありません。
学生時代、
少しだけ努力したら、
なんでも平均ちょっとはできるので、
『とりあえず、少しだけ努力』
のスタンスです。
『そんなこともできるのーー!!』
と、友達に褒められたり
『なんでもできるのは俺似だな!』
と父に言われたり
それが素直に嬉しかったんです。
だから、
なんでもまんべんなく
ちょっとだけ努力して、
総合力で勝負していました!
その反面、秀でていることがないことに
焦りを覚えることもちらほら。
でも、私の中でのセルフイメージが
『なんでも器用にできる私』
というのが、私だと思ってたんです。
本気で努力した分野も確かにある
本気で努力してた分野も
もちろんあります!!
高校のときの弓道!
まぁ、やりすぎて怪我しましたが…
怪我という爆弾を抱えながら
『制限された練習量で
いかに最高の私でいられるか?』
それが課題でした。
セルフイメージにしがみついていただけ
『なんでも器用にできる私』
って、信じこもうってしてただけで、
本当は、なんにもできないんです。
それって、当たり前ですよね。
1人の人間の力には限界があります
でもね、
そんな当たり前のこともわからなかったんです。
『なんでも器用にできる私』だから、
みんなに好かれてる。
器用にできない、本当の私は、誰からも好かれない…。価値がない…
そう、思っていたんですから。
だから
『なんでも器用にできてすごいね!』
と、言われるたびに
本当のできない自分は、萎縮していくんです。
『なんでも器用にできてすごいね!』
と、言われるたびに
『できない私は、価値がない』と、聞こえてしまう。
できなくてもいい。在るだけでいい。
変わったのは子どもたちに出逢ってから。
私の子どもたちは
『器用にできる私』だから、
全力で愛してくれてるわけじゃないです。
『ただの私』をまるごと受け入れて
愛してくれてます。
機嫌が悪い私も、
ニコニコしてる私も…
本当は、何にもできない私も。
それでも…愛してくれてる。
だから、
『なんでもできる器用な私』とは
きちんとサヨナラしようと思います!
器用じゃなくても
『私は私』
きっと、
褒められたりするたびに
何度も
『そんなの本当の私じゃない!』って
思うときもあるかもしれないけど、
器用にこなせる私も、私だから。
そこが、できる分野なだけ。
そこが、私の得意なことなだけ。
できるとこも、
できないこともあって、
全部ひっくるめて私。
小さい頃に
自分で自分に背負わせてしまった重荷を
ちゃんとおろします!
みなさんも
何気なく、
背負ってるものありませんか?
案外、降ろしても大丈夫ですよ♡